時事ネタ最速族

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闘病



(出典 i.daily.jp)


がん再発じゃなくて良かったけどさ、何かあるたびにSNSで実況中継するのはどうなの?

心配ビジネスみたいになってないか?まあ帯状疱疹も辛いんだろうけど、ご自愛くださいな。次は何で入院報告してくれるのかな?

1 冬月記者 ★ :2025/09/26(金) 01:24:29.43 ID:uem4vNw69
https://news.yahoo.co.jp/articles/9142dbb8aa85a964ac9564ba9553a961f5b4c0e8


(出典 i.imgur.com)


笠井信輔が緊急入院、がん再発懸念も診断結果は帯状疱疹「2週間すべてのお仕事をお休み」

 フリーアナウンサー笠井信輔(62)が25日、ブログを更新。

 「突然ですが、入院しました。報告が遅れましたが、月曜日に入院いたしました」と、22日に緊急入院していたと明らかにした。右目が腫れ、開かない状態になったという。

 19年12月に悪性リンパ腫の「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」と診断され、翌20年に完全寛解した経緯もあり、再検査を受けた。

 その結果、がんの再発ではなかったが、帯状疱疹(ほうしん)の悪化と判明。

 「入院は2週間になるそうです。本当に残念で悔しいのですが、その間、すべてのお仕事をお休みさせて頂くことになりました」と向こう2週間、休養すると発表した。

 笠井は「このところ喉の調子が悪く、咳き込むこともあったのですが、コロナではなく、副鼻腔炎と言う診断でしたので体調を見ながらそのまま働いておりました」と、体調が思わしくなかったとつづった。

 「そのうち右の鼻の根元におできのようなものができ、右まぶたが腫れ上がって開かなくなってしまったので、休日でも診ていただける眼科へ 結膜炎だが他の人に感染するものではないと言う診断が下り」と、当初は結膜炎と診断されたと続けた。

 その後、「松山での講演会 血液学会のリンパ腫・市民公開講座のオンライン生配信番組の司会など片目が開かない状況で仕事をさせていただきました」と、不調のまま仕事を継続していたという。

 そして月曜日に「Tokyo MXTVのレギュラー朝のニュース番組『おはリナ』に出演」した後、「そのまま『念のため別の病院で診てもらおう』と思い診察を受けたところ、思っていた以上に状況が悪い…とわかり すぐに緊急入院となってしまいました」と経緯を説明した。

 当時を振り返り「恐れていたのは--がん、リンパ腫の再発です。『入院』と聞けば、悪性リンパ腫はいろいろなところに出現するので、目に悪さをしているのでは、という感覚になりました」と、がんの再発が脳裏をよぎったとつづった。

 「さまざまな検査の結果、がんの再発ではないだろうということがわかり、ひとまずほっと一安心」と幸い、再発ではなかったが「しかし、片目が開かない…」と右目は回復しなかった。

 「ということでさらに精密検査を受け調べたところ、帯状疱疹が悪化し、帯状疱疹ウイルスが目に悪影響を与えた結果、右目が開かない状況であることがわかりました なんですと!【帯状疱疹】」と、診断をつづった。

 笠井は「まさか、自分が帯状疱疹になるとは思いませんでした。ストレスが強い人がかかる病気だと思っていたからです」と、診断にショックを受けた心中を吐露。

 「先生のお話によると、悪性リンパ腫で大量の抗がん剤治療を受けたため免疫が下がり、帯状疱疹が出やすい状況が生まれていたのかもしれないとのこと ただ、すでに5年以上経っているので、普通はその影響はあまり出ないのだが……という話もありました」と、抗がん剤治療の影響で免疫が下がったことが原因の可能性があるとする、医師の所見も明かした。


 笠井は「いずれにせよ、62歳という年齢です 油断しておりました」と反省。

 「この間に、がんの講演会がいくつかあるのですが伺えなくなってしまった講演会の皆さん、楽しみにしていただいたのに本当にごめんなさい 全て私の責任です」と謝罪した。

 その上で「そうした中、入院直後に予定されていた講演は妻が代行を務めてくれました 入院中に妻と講演会代行の打ち合わせ 実は、妻もがんの講演会を行っておりまして『がんと家族の向き合い方』と言うがん患者と家族がどう向き合えば良いかと言う講演なのです」と、妻の茅原ますみさん(61)がピンチヒッターを務めたと説明。

 「出席した人に聞いたところ大変盛り上がったそうで とても良かったと笑いと涙の講演会だったそうです 私よりもウケていたと言う話が出て、ちょっとジェラシー(笑)私の講演代行をしっかりと務め上げてくれた妻には感謝です」と感謝した。

 そして「皆さんにはご迷惑とご心配をおかけいたします 出演予定だった番組やイベントもお休みさせて頂くことになりました 本当に申し訳ございません」と、改めてファンに謝罪。「2週間経って退院後はすぐに仕事復帰できるとのことですので今は治療に専念します 会えなくなった皆さんにまたすぐにお会いできるように頑張ります!」と復帰に意欲を見せた。

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(出典 tokyo-sports.ismcdn.jp)


テレビの帝王も病には勝てんか…。矢作も気を使って「元気」って言ってるんだろうけど、ガリガリで声も出ないって相当ヤバいだろ。YouTubeでは無理してたんだろうな。

もうテレビにこだわらず、ゆっくり静養してほしい。健康が一番だよ、マジで。

1 冬月記者 ★ :2025/09/20(土) 14:19:26.41 ID:LFfl7o2R9
https://news.yahoo.co.jp/articles/76e02ee16af3298ce39f80654f966020fb6ab58e

おぎやはぎが知るがん闘病の石橋貴明、矢作兼「7キロぐらい痩せて…」小木博明「ガラガラ声で」

 お笑いコンビ、おぎやはぎの矢作兼(54)が18日深夜放送のTBSラジオ「木曜JUNK おぎやはぎのメガネびいき」(木曜深夜1時)に相方の小木博明(54)とともに生出演。がん闘病中の石橋貴明(63)と食事に行ったと明かした。

 石橋は4月に食道がんを公表し、現在芸能活動を休止中。その後咽頭がんを併発していたことも明かしている。

 矢作は「今週、俺はすごい報告があるっていうか。皆さん大好き石橋貴明と俺、ご飯食べてきた」と明かした。

 小木が「この間の画像見てさ。耐えられなかった。こんなガリガリになっちゃってどうしようと思って」と言うと、矢作は「週刊誌撮られていたね、痩せてるやつね。俺も心配でさ。ご飯食べましょうって」と語った。

 そして「会った瞬間、このTシャツの袖をパッとまくって、『見ろ、この細さ』って。7キロぐらい痩せたって言ってたかな? そのままレストランまで…タカさんと安西さんと3人で飲んだんだけど。レストランの個室に入った瞬間、全部手術痕を見せてきた。『見ろ! こんな感じだぞ!』って」と明かした。

 さらに「もうガリガリよ。あのタカさんが。人の目の慣れって不思議でさ。結構長いことメシ食って飲んでたのよ。メシ食って飲んでるからね。帰り頃には『痩せた、タカさん結構大変だったんだ』っていう話を聞いて、数時間後には感じが、もうタカさんだから。違和感ないのね、人って。見慣れちゃって。意外ともう大丈夫だね」と語った。

 続けて「あれだけ元気だから(体重)戻ってくると思うけど、ちょっと戻ったら、いい感じじゃない?」と投げかけると、

 小木は「戻ればね。そうやってご飯食べられるようになってるっていうのがうれしいわ」と率直にコメントした。

 矢作が「傷口って見せたいんだね?」と言うと、初期の腎細胞がんの手術をしている小木は「俺、あまり見せたくないもん」と返答した。

 そして小木が「結構、大きいでしょ? 傷口」と聞くと、矢作は「大きいよ」と返答。

 続けて「声だけ小さい、声出てないけど。徐々にですけど、とりあえず安心しましたよ」とコメント。小木も「徐々にね。ゆっくりね。頑張ってもらいたいですよ」とエールを送った。

 一方の小木は2月にがん公表前の石橋と対面を果たしている。小木は4月3日深夜放送回で石橋に言及。

 「2月ぐらいに(石橋と)会った時にそう(がん)じゃねえかなと思ってたんだよな」と告白すると、矢作はすかさず「分かるわけないだろ」とツッコミを入れた。

 それでも小木は「声とかね。ガラガラ声だったし」と指摘。「(がんを)1回経験すると分かるのよ、経験だから」と語った。

 最後に矢作は「早期と聞いてホント安心。あっという間に戻ってきてくれることを…俺らの石橋貴明だから。祈りましょうよ」と早期復帰を熱望していた。

【【芸能】石橋貴明、ガリガリで声も出ないって…心配すぎるんだが…】の続きを読む



(出典 newsdig.ismcdn.jp)


あの帝王タカさんがこんなことになるとはな…。YouTubeでは元気そうに見えたけど、裏では相当キツかったんだな。

抗がん剤拒否は本人の決断だから何も言えんが、心配になるわ。帝京魂で病気に打ち勝ってほしいけど、無理はしないでほしい。ゆっくり休んでくれ。

1 ひかり ★ :2025/09/11(木) 07:29:34.89 ID:06BneTa19
今年4月3日、「貴ちゃんねるず」で、食道がんの手術・治療のために芸能活動を休止することを発表した石橋貴明(63才)。 自らの口では、「早期に見つかったということで少し安心」と話していたが、実は想像以上に過酷な闘病生活を送っていた。

石橋と親しいテレビ局関係者が明*。

「早期発見だとされていたのですが、咽頭がんの併発もわかり、一気に状況が変わりました。抗がん剤も投与されて食道を切除する手術をしたと聞いています。特に抗がん剤の副作用にはかなり苦しんだようで、親しい友人からの連絡にもしばらく応じられないほどでした。入退院を繰り返して、この夏には“治療の方針転換”をし、別の病院にもかかっていたようです」

その様子は周囲にも、壮絶な闘病の日々に映ったようだ。

「手術によって一時は食事も難しくなり、一気にやせてしまった。手術が終わった5月頃、すぐ復帰すると思っていた関係者の間で、“病状がかなり深刻らしい”“復帰できないかもしれない”という噂が出回ったほどでした」(前出・テレビ局関係者)

焼け付くような日差しが容赦なく降り注ぐ、残暑厳しい8月下旬の昼下がり。都内の病院を歩く石橋の左手には大量の薬が入った袋、右腕には採血の痕が確認できる。 彼に注がれるのは日差しだけではない。時折、その素性に気づく人の視線が集まるが、気にする素振りはない。もう隠す必要がないかのように泰然自若な様子だった。

食道がんといえば、過去にも多くの芸能人が発症した。2010年には、当時54才のサザンオールスターズの桑田佳祐が、早期発見による手術で半年後に復帰。2022年には秋野暢子(68才)がステージ3、昨年2月には山崎努(88才)が医師から「ステージ4で生存率は10~15%」と告げられながら、治療の末に回復した。

ナビタスクリニック川崎の谷本哲也院長が言う。

「一般的に放射線治療と化学療法を併用することはありますが、食道の切除手術をしたのなら、がんが広い範囲で進行していたのでしょう。食道を切除した場合、胃を細長くして喉に引き上げ、食べ物の通り道を作り直すことが多いですが、以前よりも食べる量が減る人は少なくありません」

そんな石橋がこの夏、重大な決断を下していた。2度目の抗がん剤治療を拒否したという。

9月11日発売の『女性セブン』では、石橋が抗がん剤治療を拒否した理由や木梨憲武のお見舞い、一連のフジテレビ問題で第三者委員会からヒアリング調査を求められてからの石橋の様子などについて詳報している。

女性セブン
https://news.yahoo.co.jp/articles/582d5be90e8f2933fe89a72e132c632e2ade738f
都内を歩く石橋(2025年8月)

(出典 j7p.jp)

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下條 アトム(しもじょう アトム、1946年〈昭和21年〉11月26日 - 2025年〈令和7年〉1月29日)は、東京都出身の俳優、声優、ナレーター。同じく俳優の下絛正巳を父に、元女優の田上嘉子を母に持つ。本名同じ。名前に含まれる「ジョウ」の表記において、細い枝を意味する 下條 アトム
37キロバイト (4,326 語) - 2025年2月13日 (木) 04:02

(出典 post.tv-asahi.co.jp)


「ウルルン滞在記」のあの名ナレーション、もう聞けないのか…。下條アトムさんの声には温かみがあって、めちゃくちゃ印象に残ってた。ご冥福をお祈りします。

1 少考さん ★ :2025/02/13(木) 12:55:11.82 ID:h6kl6YsO9
俳優・下條アトムさん死去 78歳 23年急性硬膜下血腫患い闘病中 ウルルン「出会ったぁ~」でおなじみ(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/d960bac3182b1e989ec4c8ae1da1115c7f537d95

2/13(木) 12:36配信

 俳優の下條アトム(しもじょう・あとむ)さんが1月29日に死去したことがわかった。78歳。所属事務所のトム・プロジェクトが13日に発表した。葬儀は近親者のみで執り行った。

【写真あり】下條アトムさんのナレーションが人気だった「世界ウルルン滞在記」

 事務所は「2023年9月に急性硬膜下血腫を患って以来、闘病生活を送ってきましたが、体調が急変し都内の病院にて息を引き取りました」と訃報を伝え「応援してくださった多くの皆様、お世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と感謝。「また故人の遺志により、お別れの会などは予定しておりません」とした。

 下條さんは1946年11月26日生まれ、東京都出身。俳優・下絛正巳さんと元女優の田上嘉子さんの間に生まれ、69年放送のNHK連続テレビ小説「信子とおばあちゃん」でドラマデビューし、その後「藍より青く」「マー姉ちゃん」など朝ドラに多数出演。日本テレビ系「太陽にほえろ!」や「火曜サスペンス劇場」シリーズ、テレビ朝日系「相棒」シリーズや「土曜ワイド劇場」などで名脇役として重宝された。

 声優としても活躍し、「刑事スタスキー&ハッチ」スタスキー役などエディ・マーフィの吹替作品を多く担当。「エディ・マーフィでおなじみの下條アトム」と称された。また、ナレーターを務めた「世界ウルルン滞在記」は広く知られ、「出会ったぁ~」などの独特の口調を生み出した。

【【訃報】『出会ったぁ~』の声、永遠に…下條アトムさん逝く・・・】の続きを読む

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